プロフィール


こんにちは。

こころのカウンセリング カウンセラー SAYAKA です。

アダルトチルドレン共依存子育てADHD恋愛依存親子関係
で悩んでいる方へ
「しあわせバウンダリーメソッド®」を使ったカウンセリングを提供しています。

私もそんな毎日を過ごしていた一人です。

そんな私を変えたのは、たった一つの出会い でした。

こころのカウンセリング に訪れてくれた、あなたの人生をもっと知りたい。

私とお話しませんか?

生きててて良かったんだ

そう思える日があなたにもきっと来ます。

目次
自由すぎる幼少期・「普通のこと」ができない辛さ
いじめと葛藤の10代
大学中退と見えない将来への不安
社会人の壁と生きる希望を失った日々
結婚・出産・離婚を通して味わった絶望
良いお母さんであろうとした日々
試してみてもうまくいかなかった数々のこと
もう一度誰かを信じてみようと思えた出会い
自分を許し、生き方を見直そうと決めた日

本格的に心理療法を学び取り戻した自分らしさ
今苦しんでいるあなたへ

自由すぎる幼少期・「普通のこと」ができない辛さ

私は生まれつきとても繊細で、ADHDの気質を持っていました。


敷居の小さな段差も、後ろ向きに降りるほどの慎重な子。

同時に、頭の中はいつもぐるぐると考え事をしている子供でした。

今思えばADHDの特性ですが、気が付けば、宿題のプリントはぐちゃぐちゃ。

宿題を忘れず提出したことはありません。

成績だけは良かったので、

やればできるのに・・・といつも言われていた幼少期。


みんなが簡単にできることができない。どうしてだろう・・・
いつも焦って落ち着かない頭の中。
私は努力が足りないんだ。私はおかしいんだ。
心のどこかでそう思うようになっていた気がします。

いじめと葛藤の10代

中学2年生のある日、
突然クラスの仲の良いグループ全員から無視されるようになりました。

不仲な両親、共働きで忙しく、躾に厳しかったり
自分のダメところを見せたくないという気持ちもあり

いじめのことを言い出せない・・・

そもそも、いじめられている そんな自分を受け入れられなくって

学校でも家庭でも孤独・・・

そんな中、進路は親が決める。県内一の進学校の一択。
毎日塾に通って勉強することだけが生きている証
行きたい高校にも行けず、反抗することも許されない

悪いことは何もしてないのに・・・

毎日真面目に生きてるのに・・・

誰のために、何のために生きているのかわからない毎日だった気がします。

大学中退と見えない将来への不安

親の言う通り進学したものの

先の見えない毎日。

いじめられていたあの日の記憶、
家に帰れば、自分の居場所もなく、自分の意見も言えない・・・
両親は毎日喧嘩

親元離れたい一心で大学へ進学したものの

やりたいことも見つからず、
唯一、やりたいと思った留学の希望も聞き入れてもらえるはずもなく

とうとう、引きこもりに。

大学を中退し、先の見えないまま過ごすフリーター。
毎日、不安と孤独でたまらなかったのを覚えています。

社会人の壁と生きる希望を失った日々

学生時代から、人並みに恋愛もしたけれど、
付き合うのはいつもダメ男ばかり・・・

親や友人だけでなく、恋人のことも信じられない・・・
自分に自信のない私は、誰かに人生を決められることが当たり前になっていました。

彼氏とコンビニに行っても、レジでお会計をするのは私。
誰かの紹介や誰かのオススメで、悪い話に引っかかって沢山の失敗もしました。
フリーター生活はハードで、どんなに頑張っても昇給もなければ役職が上がることもない。
地元に帰るのも、正社員で働くのも嫌で時給800円のバイトを掛け持ちして、自分の力だけで生きていくんだ!這い上がっていくんだ!と思っていたけれど

そんな私はもう生きているだけで精一杯でした。

長く付き合っていた彼氏に浮気され
とにかく生きているのが辛くて、

どうやったら楽になれるのだろう

毎日そんなことばかり考えていたけれど

マンションのベランダの柵を超えることも、睡眠薬の瓶を飲み干すことも、風呂場を赤く染めることもできない自分に絶望して
どうせ死ねないなら死ぬ気で働いて見返してやろうと決意した25歳。

365日、1日16時間、休む暇もなく2年間働き続けた結果

会社がどんどん大きくなり、店舗も増え、スタッフもたった3人だったのが
5-60人の大所帯へ。連日大繁盛。

大成功して、日本一に!と思っていたのに
ふと気が付いたら、起き上がれない体になっていました。

体も心も、ボロボロで
死にそう・・・
いっそ死にたいくらい本当に辛かった・・・

何でこんな風になったんだっけ?

そうだ、私、生きてたくなかったんだ。

ついには働くことさえできなくなって、それでも生きている現実と不安に絶望の毎日。
そんな時、母が「私が絶対にあなたを元気にする!」と言い
実家に帰る決意をしました。
その言葉を信じたのか、そうするしかなかったのか・・・今はもう思い出せません。

実家に帰ったものの
不仲の父と母、

そもそも父にも母にも理解してもらえない自分の気持ち。自分の存在。
行き場がないどころか、生まれてきたことさえ罪悪感を感じる毎日。

心療内科を転々とし、薬の副作用で容体は悪化。
家で暴れるようになり、またまた、引きこもりに。

もう、自分で自分をコントロールすることもできなくなっていました
薬の副作用か、頭の中でいつも何か響いている。
本当に生き地獄でした。

結婚・出産・離婚を通して味わった絶望

そんな中、SNSで出会った男性と連絡を取り合うようになり
その瞬間だけは
あぁ生きている
と思えた気がしました。

「すぐにでも子供が欲しい、結婚して欲しい。」
何度も家に押しかけてくる彼のその言葉を真に受けて、実家から逃げるように結婚。

しかし、逃げた先に待っていたのは、幸せとは程遠いものでした。
妊娠中に発覚した、彼の様々な問題、、、
毎日見知らぬ土地で不安でいっぱいの中、パートを探し、中古の自転車を買い、働きに出た妊娠6カ月。

事情を知らない彼の親族からは、あんまりワガママ言い過ぎよと言われる始末。
無事出産したものの、結局すぐに離婚。
また実家へ戻る以外、選択肢はなくなってしまった自分にまた絶望しかありませんでした。

良いお母さんであろうとした日々

良いお母さんであろう。
周りが何と言おうと絶対に、自分がこの子を幸せにするんだ!

そんな一心で子育てしていた気がします。

でも
「子供がかわいそう」「ダメな母親」「みっともない」「もっとしっかりしないと」

そんな周りの言葉を真に受けて
いつの間にか、自分でも自分がみじめに思えるようになっていました。

頑張っても報われない・・・

唯一、仕事だけはそれなりに評価してもらえることも多く
順調に正社員になり、仕事も充実していたけれど
気が付けば頑張りすぎて、体を壊す・・・

またそんな悪循環にはまっていました。

実家を出て、息子と二人暮らしを始めたものの
息子は学校に行きたがらない
学校から職場へ毎日の電話

「息子さん、まだ学校に来てないです。今すぐ家に様子を見に帰ってください。」
「授業に集中できていないようです。自宅でしっかり指導してください」

仕事では、
緊張感と責任感で押しつぶされそうな毎日

親子の関係もギスギスしたものになり
息子はどんどん扱いづらくなりました。
学校の時間になっても、自分で着替えることもしない息子を裸のまま引っ張って
学校に連れて行ったこともありました。

朝から怒号の毎日が続き
ある日の朝、息子が言った言葉は、

「死にたい」

でした。
そしてその言葉を聞いた自分が思ったのは

「ママも死にたい」

でした。

試してみてもうまくいかなかった数々のこと

私も、ただただそんな自分に甘んじていたわけではありません。

大学の頃は、あまりの生きづらさに心療内科へ通ったり
大学に進路相談などもしています。

そんな大学ではパワハラ・セクハラを受けたことも。

しかし、
「そんな風にみられるあなたが悪いのよ。」
そんな声が聞こえてきそうで
誰にも言い出せずにいました。

引きこもりだった時期には、あちこちに相談して
病院はもちろんのこと、
占い・お祓い・カイロプラクティック・整体にも通いました。

過労で倒れた際には
大病院にも行きました。
検査の結果、異常なしと言われるも、歩くこともままらなない私の状態を見かねた医師が
入院手続きをするようにと言ってくれたのですが、
身元保証と報告のため連絡した父に、
「今の日本は、病床数が足りていないんだ。入院なんかさせない。出来るわけがないだろう」
と言われ、絶望。
数日後に父は自宅まで様子を見に来てくれましたが、
そんな父と会う気にも話す気にもなれませんでした。
そしてそんな自分を責めました。

その後も、何とか元気になりたいという一心で
病院針・経絡治療・心療内科・退行催眠・脳科学や心理学・栄養分子学・自己啓発などを転々としました。

自分でも様々な分野を勉強し、時には、セッションや勉強に出向いたり
行政はじめとする支援機関(男女共同参画事業や心のサポート)にも何度も相談しました。
心療内科提携のカウンセリングも何度も受けています。

子供が生まれてからも
子育てが上手くいかない事に悩み
仕事の合間を縫って(今思うと、どこにそんな時間があったのだろうか疑問ですが)
発達支援や幼稚園・小学校で、沢山のサポートや支援を頼りました。

ペアレントトレーニングにも参加し、
普通クラスでは対応しきれない現状から、特別支援学級へ入級させました。

でも、どんな方法も一時しのぎ、
私の苦しさが解消されることはなかったし、生きていくことがとにかく辛かった。

もう一度誰かを信じてみようと思えた出会い

私はずっと幸せじゃなかった。

そんな私が子供の幸せを願っても
何も伝えられることがないと気づいたその時、
子供と離れる選択しかない。そう思い、とある自立支援施設を頼りました。

実家の両親の関係はますます悪化
家族・行政・学校には、もう何の期待もできないと感じていた私は
誰にも相談せず

その施設に電話しました。
「お母さん、僕らを信じて預けてください」
沢山話を聞いて頂き、その施設の方々の想いを伺う中で

私は、もう一度誰かを信じてみるならこの人達しかいない。
と感じ
子供を施設に預け、離れて暮らす決心をしました。

自分を許し、生き方を見直そうと決めた日

子供と離れて暮らす

母親にとって、これほど辛く、大きな決断はないと思います。
でも、間違いなく言えるのは

その選択がなければ、私たち親子は最悪の決断をしていたかもしれない
ということ。

施設の方との沢山の対話の中で私は初めて信じられる大人に出会った気がしました。

本当の自分を見てくれて、私の可能性を心から信じてくれる人。


「まずは、お母さんが幸せになってください」

このことを転機に、
私は、本気で自分の幸せを探すことを決めました。

何が食べたい?

そう聞かれても、
なんでもいいよ、みんなが良ければ。
と言っていた自分。

好きなものを食べることすらできなくなっていた自分を
もう許してあげよう・・・
そう思って、毎日、食べたいものを食べることから始めました。

将来がどうなるかわからないと不安しかなかったシングルマザーの私は
子供の将来のための貯金をするために
我慢を続けることしかできなくなっていました。

今を楽しんだり、今を生きることに、とにかく恐怖を感じていました。

こんな私が楽しんではいけない。
まだまだ頑張りが足りないんだ。
良い人でなければいけない。
良いお母さんでなければいけない。

子供の癇癪を気にしては
着るもの、食べるもの、行く場所を来る日も来る瞬間も我慢し、それでも起こる癇癪

両親の言葉や世間体を気にして
精一杯、いい娘、良い母親であろうとして精一杯努力して
それでもやってこない幸せな家庭生活

永遠に認められることのない自分

そんな自分に気づいた私は
ごめんね、ごめんねと何度も自分に言いました。
今まで本当にありがとう
とも。

本格的に心理療法を学び取り戻した自分らしさ

「共依存」と「バウンダリー」

施設の方に教えていただいて、初めてこの言葉を知った私は、子供の心と自分の心の境界線が全く引けていなかったことに気づきました。
子供の問題をいつも自分の問題のように感じてしまう自分はとても過保護で過干渉でした。
子供だけでなく、周りの人の感情を気にするあまり、ずっと自分らしさや自分の感情を押し殺していたことにも気付きました。

当時、「お母さんが幸せになってください。」
そう言われても、幸せが何わからなかったのを覚えています。
はじめは、仕事帰りにコンビニへ行き、食べてみたかった新商品のスイーツを、ちょっと高いけど勇気を出して買ってみる。そんなことから始めました。

それから、だんだんと元気になった私は
本格的に心理療法を学び始め、深い自己受容ができるようになりました。

カウンセラーとしての人生

そして、
もっと早くこのような心理療法と出会っていたら・・・
という思いから、
今までの経験や学びを基に、心理療法のエッセンスをまとめた

・~心地良い人間関係を作る~しあわせバウンダリーメソッド

・自分自身で安心を生み出すワーク

・繰り返す不安と仲良くするセラピー

・10秒で!怒りを手放すワーク

を提供することができるようになりました。

今苦しんでいるあなたへ

私は、今、本当に幸せな人生を取り戻したと感じています。

自分らしさ、自分の生きてきた人生に誇りを持って、毎日過ごしています。

私はもちろん、息子もイキイキと暮らしていて、今では本当にいい関係です。

出会いの力は本当に大きい。

たまたま、私は出会うタイミングが遅く、自分でもかなり長く苦しんだなと思います。
子供にも、大変な想いをさせてしまいました。

それでも

自分を変えるタイミングが来たことと
自分を信じてくれる人に出会えたことに

本当に感謝しています

長く、長く、先の見えない暗闇で、必死にもがいていた日々を想うと、
もっと早くこの知識と方法を知っていれば良かった。そう感じています。

人生引き返すことはできないけれど
もし、私がこの心理療法を知っていたら、もし、私が自分を愛する方法を知っていたら
どんなに生きやすくい人生だっただろう。
愛する子供と過ごす日々が、どんなに素晴らしい毎日だっただろう。
そう思う気持ちは今も止みません。

今苦しんでいる方全員に、本当に早くこの方法を知って欲しい。心からそう思います。

人生を変えるのに遅すぎることはありません。

沢山の苦しい時間があったからこそ、
苦しんだ私だからこそ
あなたの話に耳を傾けられるのかもしれないと思うと
今では、苦しかった日々も
本当にありがたい経験だったと思います。

人はいつでも変われます。

あなた自身が持っている力を私は信じています。

私もそうして救われたように・・・

まずは、どんな話でもいい。

誰かに話したい、そう思った時、それがタイミングです。

あなたのお話を聞かせてください。